最近は

 コメントありがとうございます。
 最近は、積極的に書こうというものがないので、更新していませんでした。
 西野流にもすでに1年以上ごぶさたしていますし、対気についても新しく何か考えるということはありません。対気自体、やり方を忘れたような感じです。
 ところで、基本稽古と対気でどちらが緩むかということですが、素直に交流すれば対気のほうが緩むのではないでしょうか。少なくとも、激しく反応した後は緩んでいたと思います。
 一日に5~6時間かけて基本をやるというヒゲのおじさんがいましたが、本人が思っているよりは、体が固まっていたような気がしました。その塊を対気でとりのぞいていたのではという気もしました。
 ただ、それでは西野先生はどうやってあそこまで行ったのかといえば、基本稽古しかありえないでしょう。今でも華輪は時々なさっているようです。
 そして、何度も書きましたが基本動作は非常によくできていて、丁寧にやれば確実に体が緩んで、次のステージに移行できると思います。
 それから、新しい西野先生の対気ですが、面白そうですし、今の自分だと何かとてつもないことが起こりそうで、経験してみたいですね。
 ただ、手を合わせていた時の延長であって、手にこだわり過ぎていた人には特に良いと思います。
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

思えば遠くへ

 久しぶりに、このブログを自分で確認してみた。
 どうやら
2007年あたりから書き始めているらしく、10年余りの稽古日誌になっているんですね。
 初期のものを読みながら、一番変わったのは「指導員」や「対気」に対する見方でしょうか。
そして別に記録もつけているので、2012年~16年くらいが、一番西野流に打ち込んでいたのだとわかります。
指導員や準指導員との対気についても記録しているので、ちょうどこの期間に、ずいぶんいろいろなことを試しています。
 15分とか時間を決めて、華輪を振った時期。とにかく対気の回数を増やそうとしたこともありました。
まぁ、そういう4~5年、自分なりに集中して練習して、やっとというか、少しだけ見えてきたということでしょうか。
同時に、
「何かおやりになってますね」
と言われることも多くなりました。
西野流には、あえて話をもっていくことはありませんが、ここまでこれたのは、西野先生をはじめ西野流呼吸法を続けてきたおかげだと思います。
そして、同時に遠くはるかに自分の目指す場所があって。
まさに
「日暮れて、道遠し」
といったところです。
Img_2578

| | Comments (1) | TrackBack (0)

対気ばなれ

 更新しようと、久しぶりのこのページをみましたが、随分と長く更新もせず、失礼しました。大井競馬の的場文男騎手の応援やら大東流をかじったりと、なにかと忙しくしていたために、こちらが放置状態になってしまったようです。
 もちろん、毎日どこかで基本けいこはやっていますい、旅先でも必ず練習しています。おそらく30年近く出たり入ったりしながら続けた最大の効果は、
いつでもどこでもある一定レベルの基本稽古ができる
ということでしょう。おそらく対気の数十倍、そのことが私にとっては大きいと思います。
 まぁ、塾へ行っていないので当然ですが、ここしばらく対気はやっていません
 あれほど、こだわっていたのに、どうしたことでしょう。
 憑き物が落ちたように、対気へのこだわりが消えました。
 あれは、導入部のアトラクションのようなものでしかありません。つまり本質的なものではないと思います。むかしある指導員が「天遊だけやっていればいいですよ」
と言っていましたが。
 あれは対気が強くなるということではなく、もっとトータルなものを指していたのではないか。
そんな感じが今はしています。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

そろそろどうでしょう

 西野流を長くやっていて、現在は離れている方と何人かお会いしました。
みなさんに共通する発言は
「西野先生はお元気ですか」
「西野先生はすごいですよ」
という西野先生への変わらぬ敬愛の言葉です。
そういう私も、西野流をはじめた1989年から数年間の熱気に満ちた稽古場の雰囲気はとても懐かしい気がします。
そして、先生が伝えたかったものが、ようやくわかりかけてきました。
おそらく当時から、先生も、全力で伝えようとされていたとは思いますが、この全身にわたる感覚というのは、数か月の単位ではなく、数年、数十年の時間を要するものではないかと思います。
ですから、当時の塾生に簡単に伝えることができなかったのでしょう。
先生自身、バレエから合気道、中国拳法と探求された期間はかなりの時間ですし、集中のしかたも壮絶な感じがします。
当たり前のことですが、かなり先を進まれていて、そのエッセンスを伝えようとしたのが
西野流呼吸法だったのでしょう。
 
素晴らしいことだと思います。
 そして、91歳をお迎えになった今、ぜひ先生にお願いしたいのは、「再入会費」の免除とイジヒの廃止です。
 機会があれば戻ろうとされている人たちの中には、現在の指導員以上の境地に立たれている方も多く、そういう方たちも含めてレベルを上げていかないと、発展はなく。一代限りのものになってしまうと感じるのは私だけでしょうか。
paperpaperpaperpaperpaperpaper
 賛成の方はコメントを入れてください。
 

| | Comments (2) | TrackBack (0)

コメントありがとうございます。

「会員歴2年半」さん。コメントありがとうございます。
15年で3~4回というのも凄いですね。
 ところで、西野流が大きく会員数を増やしていった時期というのは、バブルと重なるのではないでしょうか。
 あの少し浮かれたような時期、不動産の価値が膨れ上がり、おそらく渋谷の旧西野ビルも相当な金額になっていたでしょう。そこをあえて留まって西野流を広めようという先生の情熱のようなものに、こちらも共感していた気がします。
 格闘技雑誌から始まった西野流バッシングもありました。しかし、これは今でも他の気の武術に対して残っているようです。
 最初は西野先生も武術としての可能性を感じていたようですが、わりと早い段階で修正して、呼吸法、健康法として整理されました。
 実際に20年以上練習して、素人も倒せない武術というのはあり得ないでしょう。
 ただ、他の武道の境地を高めるのには必要な要素で、座禅、ヨガなどと同じですね。
 なぜ、バブルから書き始めたか、西野塾の急激な成長も「バブル」にあおられた部分があったのではという気がしたからです。
 永遠の右肩上がりの相場がないように、西野流も静かに普通の健康法に戻っていくのでしょう。Dc12290211

| | Comments (0) | TrackBack (0)

謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。
 西野流をはじめて、28年。このブログをはじめて10年くらいでしょうか。
なにより元気に、楽しく生きています。
活き活きと
いまさらですが、西野流のおかげです。
先日、「やまさ」さんと忘年会でお会いして話しましたが、
「とにかく周りの同世代と比べて若い」
ということが際立ってきたそうです。
年を経るにつれて、はっきりと効果が出ると淡々と話されていましたが、確かに「やまさ」さんは実年齢より10歳は若く見えます。
最初知り合ったときはさほどでもなかったので、この20年でしっかり若返ったのでしょう。
 そういえば、西野流呼吸法に特別思い入れもなく、かといって私とは違って休まずに続けていらっしゃるところが凄いと思います。
 そして、基本動作のいくつかは「やまさ」さんに手直ししてもらっています。
淡々とでもすごい人が身近にいる。
これも素晴らしいことです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ふたたび休んでます

 今現在、西野塾を休んでいます。
 理由は、競馬の不調です。まぁ、こういった理由は別にして、経済的な面から西野塾を離れる人は少なくありません。
 すぐに、イジヒが発生したり、再入会になってしまうので、足が遠のくのはしょうがありませんね。
 私も今回は、よほど大きな馬券が当たらないと戻らない気がします。
 初期のころは、経済的な負担にまさるインパクトがあって、再入会して西野先生の顔をみると、なんだか力が湧いてきました。
このブログでも何度もそれを書いてきました。
ただ、今は、イジヒも例月の会費も
「もったいないような気持ち
になってしまいます。
 西野先生自体が衰えたり、変わってインパクトがなくなったわけではありません。基本動作の意味がおぼろげにわかってきたり、気の交流が理解できるにつれて、先生の凄さ再認識させられています。
 もし、変化があるとすれば、私のほうの受け取り方だろうと思います。
 気が理解できるようになってくると、
ただ、
「気持ちがいいから」
「楽しいから」
という理由だけでは、
「もったいない」
という気持ちを越えられないのだと思います。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

サボって申し訳ありません

 なんとなく、無自覚に渋谷に通っているうちに、5か月近くが経ってしまいました。
 あまり西野流について、思うところがなくなってぼんやりしていました。
 とはいえ、ここにきて大阪の道場の閉鎖初期のアイドル的指導員のMさんの復帰など、そろそろと書こうかと思っていたところに、コメントをいただきました。
ありがとうございます。
 もうこれで、大阪に泊まって通うということもなくなるのだと思うと寂しい気がしますし、4年ほど前に寺田町にお邪魔したあの時に、アットホームではありましたが、老齢化、過疎化が急速に進み始めていたのだと思わされました。
それでも西野先生のいらっしゃる日で、それなりに活気はありましたが、往年の華やかさはすでに失われ、

「魅力的な女性たちはどこへ」。
とこのブログに書いたような気がします。
 また、大阪担当だったI指導員も退職とのことですが、あの人柄と柔らかな気は、惜しまれますね。


 さて、私自身は基本稽古の素晴らしさを実感しているところで、今も丁寧に繰り返しています。ただ、30分程度なので痴ほう会員さんの足元にも及びません。
 また、ここのところ、何人かの武術家や気功家にお会いしましたが、やはり
「緩めること」
が、一番のようです。
体軸が柔らかく天に伸びていくのが先なのか、緩むのが先なのかわかりませんが、最終的には
「宙遊」
ということでしょうか。

生意気ですが、そろそろ

「西野流卒業」
近しといったところです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

帰り道

 西野流、週一ですがしっかり通っています。
 しかし、何度離れても、すぐになじんでしまうのは不思議です。いつのまにか
「ずっとこんな風だった」
と感じながら、基本稽古や対気をこなしています。
 毎回、東横線「渋谷駅」から、地下を抜けて109あたりで地上へ、東急本店・文化村の裏を抜け松濤の高級住宅地の坂を上がって、鍋島松濤公園の脇を抜けていきます。
そういった全体の流れも、しっかりと順序だてられて、身体にしみついていく感覚があります。
 前に書いたことがありますが、煙草を吸っていたころは、必ず飲食店などに寄り道をして帰っていましたが、今はそれもなく、帰路はそのまま電車に乗ることが多くなりました。
 なぜ、塾への経路を書いたかというと、これまで三度場所が変わりましたが、いずれも、そこまでの道筋が鮮やかに浮かんでくる不思議さがあるからです。通勤などとは違う感覚があって、細部まで鮮やかに記憶されています。
風のにおいや、時々の日差しかかりかたなど、それぞれの場所に、朝、昼、夕、夜とさまざまな時間に、行っていますが、それぞれのシーンが明確に思い出せるのが不思議です。
 特に稽古帰りの風景が、より鮮明なような気がします。
 「なぜか」
 と理由を探ってみますが、無理に解釈する必要はないような気もします。
Dscf0977t1

| | Comments (3) | TrackBack (0)

のようなもの

 塾友「やまささん」からコメントが入りました。感謝
 確かに、同じようなことを何度も書くというのは、ちょっと抵抗があります。しかし、西野塾に通うというのも、淡々と小さな変化を感じながら、同じことを繰り返しているわけですから、塾へお出でになっている人たちとなんとなく話しているようなつもりで書いていくほうがいいのかもしれません。
 それから「西野式」の記事で書いた「西野流を極めるとはどういうこと」について、わかったと言いながら私の考えがはっきり示されていなかったために、具体的に書いてくれということだろうと思います。
 実は私も、ちょっと思わせぶりな書き方をしたので、別項でわかりやすく書こうと考えていましたが、そう思うとなんだかぼんやりしはじめました。
 西野塾で基本稽古や対気をしながら、あるいは往復の電車のなかでも言葉を探しましたが、適当なものがみつかりません。
 それでは、わかっていないか、実感がないのかというと、そうではありません。
 そして日々、それは変化し、成長し、後退し、ぼんやりと見えたり、消えたりしています。
 私にとっては重要な部分であり、核心の部分ですが、
「誰にでも通用する普遍性のあるもの」
 ではないのかもしれません。
具体的に記述できませんが、私にとって
「確かにそこにあるもの」
のために日々、稽古をしているようです。
 おそらく長く通われている皆さんが、それぞれに何かをお持ちになっているのだと思います。

Otaru

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧