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のようなもの

 塾友「やまささん」からコメントが入りました。感謝
 確かに、同じようなことを何度も書くというのは、ちょっと抵抗があります。しかし、西野塾に通うというのも、淡々と小さな変化を感じながら、同じことを繰り返しているわけですから、塾へお出でになっている人たちとなんとなく話しているようなつもりで書いていくほうがいいのかもしれません。
 それから「西野式」の記事で書いた「西野流を極めるとはどういうこと」について、わかったと言いながら私の考えがはっきり示されていなかったために、具体的に書いてくれということだろうと思います。
 実は私も、ちょっと思わせぶりな書き方をしたので、別項でわかりやすく書こうと考えていましたが、そう思うとなんだかぼんやりしはじめました。
 西野塾で基本稽古や対気をしながら、あるいは往復の電車のなかでも言葉を探しましたが、適当なものがみつかりません。
 それでは、わかっていないか、実感がないのかというと、そうではありません。
 そして日々、それは変化し、成長し、後退し、ぼんやりと見えたり、消えたりしています。
 私にとっては重要な部分であり、核心の部分ですが、
「誰にでも通用する普遍性のあるもの」
 ではないのかもしれません。
具体的に記述できませんが、私にとって
「確かにそこにあるもの」
のために日々、稽古をしているようです。
 おそらく長く通われている皆さんが、それぞれに何かをお持ちになっているのだと思います。

Otaru

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