« April 2016 | Main | June 2016 »

のようなもの

 塾友「やまささん」からコメントが入りました。感謝
 確かに、同じようなことを何度も書くというのは、ちょっと抵抗があります。しかし、西野塾に通うというのも、淡々と小さな変化を感じながら、同じことを繰り返しているわけですから、塾へお出でになっている人たちとなんとなく話しているようなつもりで書いていくほうがいいのかもしれません。
 それから「西野式」の記事で書いた「西野流を極めるとはどういうこと」について、わかったと言いながら私の考えがはっきり示されていなかったために、具体的に書いてくれということだろうと思います。
 実は私も、ちょっと思わせぶりな書き方をしたので、別項でわかりやすく書こうと考えていましたが、そう思うとなんだかぼんやりしはじめました。
 西野塾で基本稽古や対気をしながら、あるいは往復の電車のなかでも言葉を探しましたが、適当なものがみつかりません。
 それでは、わかっていないか、実感がないのかというと、そうではありません。
 そして日々、それは変化し、成長し、後退し、ぼんやりと見えたり、消えたりしています。
 私にとっては重要な部分であり、核心の部分ですが、
「誰にでも通用する普遍性のあるもの」
 ではないのかもしれません。
具体的に記述できませんが、私にとって
「確かにそこにあるもの」
のために日々、稽古をしているようです。
 おそらく長く通われている皆さんが、それぞれに何かをお持ちになっているのだと思います。

Otaru

| | Comments (0) | TrackBack (0)

老いてなお

 最近、気になるのですが、西野塾に通われている皆さんお元気です。
 新しく入門される方も、健康のためということなのか、かなり年配の方が目につきます。
「いきいきと生きる」
にふさわしく、多少は膝や腰などに衰えはあるにしろ、はつらつと通われているのは素晴らしいことだと思います。
 かっての大阪:帝塚山のように美しいというか、魅力的な若い女性が多くいる環境がもっとも望ましいとは思いますが、百歩下がって、老いてなお盛んというのもいいものです。
 そしてじっくり観察すると、しばらく見ない間に、ずいぶんと進んだなと思われる方も何人かいらっしゃいます。まぁ、あくまで私から見てということですが、先生と戯れる人々を冷静に見ながら、一歩一歩、進んでいる感じがします。
 もちろん各階で2~3人で数は少ないのですが、たたずまいというか、並んでいる雰囲気少し変わられた感じがします。
 そんなことを考えていたら、準指導員の方から
「最近見なかったけど、ずいぶん良くなったね」
と誉められました。
 「うーん、ずいぶんと居心地がいいぞ」
と思いながら、五月の風に乗って、松濤の坂を上がっています。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

« April 2016 | Main | June 2016 »