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気のようなもの

 暑い日。久しぶりに、東急百貨店を抜け、鍋島松濤公園の前を通って、西野塾への道を歩いた。
 稽古場の窓から青空や夏の太陽に照らされた樹々の風景を見ていると、去年の夏に松濤に通った日々がよみがえってきて、そこにどのような不連続な感じもないのだった。
 まるでそれらの日々が、つい先月だったというような感覚である。そういえば、昨夏から来ていなかったので、そのせいかもしれない。
 皆、思いつくままに華輪や呼吸法をやったり、座って始まるのを待っている。何かこの雰囲気もゆるぎなく変わらない。そして基本稽古、対気へと繋がっていく。
 たまたま渋谷へは来なかっただけで、それがどんな影響もないということだった。こなかったのに確実に上達しているというか、進境が確認できる。
 それでは、これからは自分でやっていけば、わざわざ会費を納めなくてもよいのではないかとも考えられるが、ひとつには2時間近く自主練習することはないこと、さらに、対気などもやってみるととても気持が良いのだった。
 さて、ここからは眉につばをつけて読んでほしいのだが
 稽古場に入って、華輪をしていると「気」なのか「エネルギー」なのかわからないのだが、何かが充填されていく感じが強くした。
 身体の中に、なにかがじっくりと入って、広がる感じである。正体がわからないし、気のせい(勘違い)かもしれないのだが、ゆっくりと何かが入ってくる。
 「多元充足」のスケールの大きなやつ。
 それがいつまでも終わることがない。1年あまりの空白を生めるように、渇きを癒すように進んでいくのだった。

Dc071040

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