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当時の西野ビル

 1000クラブをはじめてから、西野流呼吸法の関係の方がホームページにお出でになるようになった。多分、西野流の掲示板に案内を出したからだろうと思う。
そこで、何回かに分けて西野流呼吸法と私のかかわりについて書いておこう。結構古い話なので、懐かしく思い出されるベテランの方や比較的新しい方には
「へぇー、そうだったの」
ということになるかもしれない
入塾したのが昭和62年5月(年は前後するかもしれない)ごろで、練習場は6階のバレースタジオのみで、今のようにマットが作りつけになっていなくて、早く行って平積みのマットを壁に立てかけてセットしていた。
 また、窓際にバー(足を上げたりするときに使うやつ)が作りつけであって、練習が終わってから足の筋を伸ばしたりしていた。対気で飛ばされた人がその木製のバーに激突して折ったが、本人はかすり傷ひとつなかったというエピソードもあった。
 当時から料金も変わらず、時間帯も今とほぼ同じだったのに比べると西野ビルの使い方には大きな違いがあったように思う。
 1階か2階には喫茶店があって、そこで時間調整をしたり、武道系の人たちと情報交換をしていた。当時は、中国拳法や少林寺、空手、柔道、合気道など多士済々というところで、話題はやはり「対気」や気を武術にどう生かすとか、西野先生のことなどだった。
 更衣室も屋上にプレハブがあって、そこで着替えていた。いつも混雑して、早くいかないと場所がなかったり、隣の人が邪魔になって着替えるのに時間がかかった。
 西野先生の住居になっている階を除くと、テナントが入っており、すべて順調な会社で、円満に出てもらうのにかなりの好条件を出したという話を西野先生から聞いた。
 当時は、「基本」と「対気」の合間に、先生が天真爛漫といった感じで、いろんな話をしていた。塾生でもそれが楽しみという人が多く、正直言って私も大好きだった。
 ついでに、これもそこで聞いたのだが、西野先生の住居部分は、億単位の大理石が使われていたのだが、いよいよ塾生が増えて練習場を増設する際には、迷わずに取り払ったとのことだった。

Nisino 

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